花から月へ・羽化登仙

https://seesaawiki.jp/w/otafu9/d/%A1%D8%C5%C4%CB%E8%A4%CE%B7%EE%A1%D9%20%A4%CE%20%B5%A8 【『田毎の月』 の 季編集する】 より

「田毎の月」を調べたお陰で、沢山の歌碑や句碑を検索できました。

   長野県内収録文学碑一覧

文学に積極的に取り組んでいる土地柄が窺える長野県人のようです。

こうした一覧から、今回少しだけど「月」の句をピックアップしました。

まず、次に詠われた句の「月」は花の「脇役」でしかありません。

  しばらくは花の上なる月夜かな  芭蕉

芭蕉は眩いばかりに輝く月光に照らされた夜景の美しさを詠んだ。句意は、咲き誇る夜桜の美しさに引き留められて見惚れているよ。

次下の三人はいずれも有季定型派ゆえに「月」は秋を詠むことになります。

  名月や何所に居ても人の邪魔  一茶

名月に照らされて隠れる所が無くなった切なさが伝わってきます。

邪魔者扱いされ、虐められている人は堪らなく淋しく辛いのです。

  おもかげや姥(おば)ひとり泣く月の友  芭蕉

満月を観て芭蕉は姥捨山の哀しい伝説を思い浮かべたのでしょう。山に捨てられて一人ぼっち淋しく泣いている老女が見えたのです。

  月影や四門四宗も只一つ  芭蕉

この句は月光に照らされた善光寺の寺院に感じた気持ちを詠った。

  夜寒とて人はねぢむく月見かな  河井曽良

芭蕉の弟子、奥の細道に同行した曽良は長野県諏訪の生れでした。肌寒の月見で、背を丸め・首をすくめて眺める様子が窺われます。

実際、直前の四句は「秋の月」を詠っている句に間違いありません。

ところが、長野県の句碑の説明書きには「田毎の月」を謳っている。それなら「田毎の月」とは、秋季の月を意味しているのでしょうか。だけど「田毎の月」の写真は何れも田植シーズンの水田が写ってる。これは、どういう意図の下に紛らわしい表現になったのでしょうか。於多福姉としても、紛らわしい表現になった根拠を推察してみます。

1)芭蕉の生きた時代、秋の棚田には水が張られていたに違いない。

芭蕉は「田毎の月」を観る旅の途次、近江で句を詠んでいます。それは蛍が舞う頃でした…長野には秋の頃に着いたと思いたい。

  このほたる田ごとの月とくらべ見ん  芭蕉

2)水が張られている秋の棚田は今、どこかに存在するに違いない。何の根拠もありませんが、観光用に水を張ってるかも知れない。

3)季節に拘らない「無季俳句」が長野県中に浸透しているのかも。自由律俳句を提唱した井泉水の句碑も長野県に見つかりました。 月は一つ田毎の月の空にあり   井泉水

4)「田毎の月」を【春の季】として歳時記に載せたい。「無季俳句」「自由律俳句」等を詠むのは個人の自由でしょう。ただし、俳句は基本的に有季・定型・五七五の韻律詩でしょう。それなら、「田毎の月」が春か夏の季として公認されれば好い。

さて、長野県人の「田毎の月」の「季」の意識はどうなっているのですか。句碑は有っても「季語」について、大らかだけで良いのでしょうか。県民に前向きに取り組む意欲はあっても、指導者の意識は重要です。ネットで検索する限り、今も曖昧のまま捨て置かれているようです。

長野県の棚田に思うのは、『田毎の月』の季の扱い…何らかの対応が必要に思えてなりません。


http://mohsho.image.coocan.jp/Basho-haikunotuki-18.html 【芭蕉の俳句に見られる四季の月】より

参考書

角川ソフィア文庫 雲英末雄・佐藤勝明訳注 芭蕉全句集

芭蕉の春の月の句

月待や梅かたげ行く小山伏   月待ち行事の夜、呼ばれて行く様子の、梅の枝を担いだ子山               伏と出会った。

春もややけしきととのふ月と梅   朧月に梅もほころび、ようやく春の気配が整ってきたよ。

花の顔に晴うてしてや朧月   美しい花の顔に圧倒されたのか月は朧にかすんでいる。

猫の恋やむとき閨の朧月   猫が騒ぎ立てていたが、静かな春の夜に戻り、朧月が差し込んでいる。

しばらくは花の上なる月夜かな   満開の夜桜の上に懸かる朧月の情景

芭蕉の夏の月の句

ほととぎす大竹藪をもる月夜   時鳥が鳴き過ぎる時も、大竹藪の葉の間から月光が洩れ射している。

五月雨に御物遠や月の顔   五月雨が降り続いて月の顔もご無沙汰だね。

此のホタル田ごとの月にくらべみん   瀬田の蛍の素晴らしさを、姨捨山の田毎の月と比べてみよう。

涼しさやほの三日月の羽黒山   涼しいね。羽黒山の上に三日月がほのかに見えるよ。

夏の月御油より出でて赤坂や   東海道の御油宿から赤坂宿までのように、夏の月は短いね。

月はあれど留守のようなり須磨の夏   秋の月見の名所の須磨が、夏は主人のいない留守宅みたい。

月見ても物たらはずや須磨の夏   須磨の夏は月を見ても物足りない感じだね。

蛸壺やはかなき夢を夏の月   蛸は壺の中で短夜のはかない夢をむさぼり眠るのか。私も。

手を打てば木魂に明くる夏の月   暁の夏の月に柏手を打つと木霊し夜が明ける。二十三夜の月待行事。

雲の峰いくつ崩れて月の山   入道雲が涌いては崩れ、いま月山を月が照らす。

芭蕉の秋の月の句

一つ家に遊女も寝たり萩と月   乞食同然の自分と花のような彼女が同じ宿に。折しも、庭の萩には月が清らかな光を投じている。

芭蕉葉を柱に懸けん庵の月   青い芭蕉の葉を、月見の興に柱へ掛けよう。

三日月や地は朧なり蕎麦の花   三日月の淡い光、白いソバの花が咲き広がる秋の畑。

侘びてすめ月侘斎が奈良茶歌   侘び、澄むと住む、風狂人の月侘斎、奈良茶歌などの言葉    からなるほっとけない味わい深い歌。

国々の八景さらに気比の月   八景の名所はいろいろあるが、気比の月は格別だ。

月いづく鐘は沈める海の底   月はどこへ行ったのか。伝説の鐘も海の底に沈んで、音を聞くことができない、寂しい雨夜です。

名月はふたつ過ぎても瀬田の月   閏月で名月を二度楽しめたが、瀬田の月は飽きないよ。

けふの今宵寝る時もなき月見哉   今宵は月の風情に見とれて寝るときもないほどです。

雲折々人を休むる月見かな    西行;なかなかに時々雲のかかるこそ、 

               徒然草137段 花は盛りに、月はくまなきものを

名月や池をめぐりて夜もすがら   池を巡り歩いているうちに、夜を徹してしまった。

寺に寝てまこと顔なる月見かな   西行のかこち顔を思い出します。

名月や北国日和定めなき   中秋の名月なのに、北国の天候は変わりやすいものだ。

名月や門にさしくる潮がしら  隅田川河口近くの庵の門先まで満ち潮が寄せてきて、その波頭が名月に光る。

夏かけて名月暑き涼み哉   夏の猛暑の名残は秋になっても消えず、名月の今宵も暑く、納涼の月見になったよ。

名月の花かと見えて綿畠   名月に照らされ、綿の白い花が咲き続いているようだ。

十六夜もまだ更科の郡かな  十五夜の月を姨捨山で賞したが、今宵十六夜の月も

 まだ更科で眺めている。

錠明けて月さし入れよ浮御堂   湖上に浮かぶ浮御堂の阿弥陀千体仏を月光で輝かせたい。

いざよひのいづれか今朝に残る菊   「十日の菊」、「十六夜の月」もわずかに盛りを 過ぎただけ。今宵も歓を尽くそう。

菊に出でて奈良と難波は宵月夜   昨夜は奈良、今夜は難波、二夜続けて美しい宵月を見る。

九たび起きても月の七ツ哉   何度も起きては月を見るが、まだ十三夜の七つ時午前4時頃、夜明けまでには時間がある。

橋桁の忍は月の名残り哉   瀬田の唐橋、十三夜の月、橋桁にしのぶ草が。名残、面影の気分。

秋もはやばらつく雨に月の形(なり)   秋も終わりに近く、通り過ぎる時雨っぽい雨にも、夜毎に痩せる月の姿にも寂寥感が漂う。

芭蕉の冬の月の句

月白き師走は子路が寝覚めかな   白く冴えた師走の月は、寝覚めた子路の曇りなき廉潔さそのものだ。

月の鏡小春に見るや目正月   鏡のような満月を小春に見たのは、これぞ目正月だ。

雪と雪今宵師走の名月か   雪と雪が照り映え、師走ながらの名月だ。

月雪とのさばりけらし年の昏   年の暮れを迎え、思えばこの1年、雪だの月だのと思いのままに暮らしたなあ。

旅寝よし宿は師走の夕月夜   師走の夕月が照らすこの宿でよい旅寝ができる。十二月九日、上弦の月か、その次の日の月くらい。

冬庭や月もいとなる虫の吟   冬の庭を照らす糸のように細い月。生き残った虫の声もか細い。

月花の愚に針立てん寒の入り   今日は早くも寒の入り、風雅に明け暮れたわが身の愚かさに、針治療でもしよう。

月やその鉢木の日の下面   月の美しい夜に演じた能楽「鉢木」の面なしの顔が偲ばれる。

有明も三十日に近し餅の音   有明月も日を追って細くなり、三十日が近づき、餅をつく音がする。「月代や晦日に近き餅の音」の句がはじめに作られたそうです。ここで歌われる「三十日に近い有明月」は、いわゆる、明けの三日月が二十七日の月と言われますので、それより淡く、か細い月であろうと想像します。

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私のコメント

 1.明けの三日月前後と思われる月への記述は、枕草子 第235段の「月は、有明の、東の山ぎはにほそくて出づるほど、いとあはれなり」に見られました。そして、芭蕉の句にも

「明け行くや二十七夜も三日の月」と歌われています。

2.今回の芭蕉の冬の句の「有明も三十日に近し餅の音」には、年末のあわただしさとともに、さらに淡く、か細い、寂しい月に、衰えゆく自身の姿が重ねられたように感じられ、印象に残りました。

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