柳田国男芭蕉論の考察-国語教育の立場から

http://www.basho.jp/ronbun/2019/01.html 【柳田国男芭蕉論の考察-国語教育の立場から-】 より

<発表のまとめ>

1.発表内容

 本発表のテキストは、昭和38年に広島県の高校国語教師小山清氏が発表したもので、柳田国男の芭蕉論をもとに当時の国語教育における芭蕉解釈の適正化、つまり俳句(発句)のみによる芭蕉解釈の誤りを指摘、俳諧(連句)言及の必要性を提言したものである。また発表に当たっては出席者の皆さんに、テキストを一節ずつ音読する協力を頂いた。なお本発表の資料②は芭蕉会議サイト「参考図書室」に登録の予定である。なお今回使用したテキストは論文検索サイト「CiNii」から広島大学教育学部国語教育会のページに入り「国語教育研究」第8号収載の同名資料を参照ください。小山氏の論考をその論旨に沿って要約すると、以下の通りである。

(1)はじめに

A)柳田国男の『木綿以前の事』について

・柳田の物を見つめる鋭い目がある。

>三度の食事、木綿の衣服、畳の部屋、毎日の会話、それらはすべて時の流れの一点においてのみ存在する。

・杉浦明平の評(『木綿以前の事』のおどろき」から、『文学』1962.1)

>風俗や社会のうつり変わりや日本人の心やことばについてだけでなく、文学を見る方法をもまた教示してくれた。

>彼の芭蕉論を読め。そこには芭蕉論の出発点と到着点とが同時に示されている。

B) 柳田国男の芭蕉論、俳諧論について

・多くの著書に散在し一つの体系になっていない。

・このため柳田国男の芭蕉論を体系化する作業が必要。

・『俳諧評釈』『木綿以前の事』『笑いの本願』を中心にして作業に入る。

・そのあとで、学校国語教育に位置づけてみることにした。

(2)柳田国男の芭蕉俳諧論(1)

A) 俳諧は「笑いの文学」である。(柳田国男)

・俳諧は内に笑いを含むもの ? 根本において「歌」と異なる

B) 「笑いの文学」3つの特徴(『笑いの本願』より)

・構図(コンポジション)がない。

・概して短く、また短いほどおもしろい。

・記録書物の形として世に出ることが難しかった。

C) このため俳諧を理解するには、笑いの考察から始める必要がある。

(3)柳田国男の芭蕉俳諧論(2)

A) 笑いの考察(1)・・・この項は柳田国男『笑いの本願』より発表者(伊藤)が追記した。

これらの文章を書いたとき(戦中:発表者注)、駄洒落、くすぐりという類のやや不品な笑いが国中に充満していた。(自序)

人々は、ただこういうつまらぬものを、社交の潤滑油の如く心得て、これを更に物静かな楽しい笑いに進めて行くと言う念慮に乏しかった。(〃)

自分が笑いを研究しようとしたのは、笑いが人間の生の楽しさを測定する尺度だと思ったからである。(〃)

日本人はよく笑う民族である、八雲の「日本人の微笑」(資料③参照)は有名なる文書である。ニコニコしていることを愛嬌と言い、高笑いや空笑いは社交の一様式をなしている。( 「笑いの文学の起源」)

善意に解釈するならば、日本人は笑の価値を知る国民なのである。(〃)

よく笑う国民であるが、近代の文学は(笑いが)貧弱である。(〃)

B) 笑いの考察(2)

笑いは本来、戦闘の一部だった。(『笑いの本願』)

どっと笑って自分の優れていることを知る方法であった。

後世になり平和になると「笑いの転用」がおこる。

現在とは無関係な想像上の笑い(笑い話)を折々の入用のため貯えた。

俸禄を得、笑いを売る者(例.曽呂利新左衛門)も出現。

強いものが勝手気ままに笑う世はすでに去った。

笑いは行き場所を失ってしまった。

芭蕉こそ、日本の伝統的な笑いの安らかな入り口(俳諧)を示した人である。

 (4)柳田国男の芭蕉俳諧論(3)

A) 芭蕉俳諧の特徴1(『笑いの本願』)・・・笑いの手引き

B) 芭蕉俳諧の特徴2(『笑いの本願』)・・・常人の感情を盛る

C) 芭蕉俳諧の特徴3(『笑いの本願』)・・・笑いの本願の成就

「高笑いを微笑に又は圧倒を慰撫に入れ替えようとした念慮は窺われ、しかも笑って此人生を眺めようとする根原の宿意は踏襲して居る」

荒木田守武のように、何でもかんでも笑い、そして笑わせ続けようとするのではなくて、「本当に静かな又朗らかな生活を味ひたいと思う者に、親切な手引きをしよう」とした。

俳諧(連句)に描かれる人物は何人(なにびと)でも構わない(ただの人、平凡に生きる人、乞食や盗人・・・)

それどころか、むしろそういう平凡な人生の持つおかしさの中に、一つの深々とした哀れさを読みとろうとするもの。(『木綿以前の事』)

芭蕉以前の笑いの文学には見られなかった「しんみりとした常人感情」が、自在に至るところに盛られるようになった。

俳諧が「静かで朗らかな生活を送りたい者への親切な手引書」となった。

無始(遠い昔)以来の笑いの本願は、芭蕉において成就した。

笑いの本願成就こそ芭蕉俳諧の芸術的価値なのである。

D) 芭蕉俳諧の特徴4(『俳諧評釈続篇』)・・・女性の取り込み

俳諧に女性の詠嘆を取り込んだのは、芭蕉の大きな事業であった。

それまでは極度に制限され、恋句でも題材の選び方が局限されていた。

登場する女性の種類が多く、またその境涯が広々と変化していた。

例として「山の一つ家の年頃の女の心」の一連の付け句を紹介。(略)

その結果、芭蕉俳諧は「文芸に豊かなる可能性を付与」した。

「人生の片隅の寂しさをも見落とさなかったのが、我翁の俳諧」

(『木綿以前の事』)

E) 芭蕉俳諧の特徴5(『木綿以前の事』)・・・解釈困難の原因

俳諧(連句)の鑑賞が難しいと言われるが、三つの原因が考えられる。

①変則語法と省略、②付きすぎの軽蔑、③社会組織(連衆)の特殊性

とりわけ③、すなわち「連衆の力」が主なる原因であろう。

③社会組織の特殊性(連衆の力)について。

連衆の間には通常の人間関係にはみられない相互理解があり、よって共同感銘を得やすく、説明を必要としない相互理解が可能な関係にあった。是が短い句形を以て、時には驚く様な人情の深みに入って行くことの出来た理由である。但し、それが時代環境の異なる門外漢には理解が及ばない理由であり、よほど気をつけても判らぬ点が多い(柳田国男)

つまり他の文学作品の鑑賞と異なり「読者限定の上、銘々の腹のわかる者だけで鑑賞」する形態の文芸だった。

例として「猿蓑」巻五「はつしぐれの巻」を紹介。(略)

F) 芭蕉俳諧の特徴6(『木綿以前の事』)・・・活きた史料

解釈困難部分は、通常の庶民生活には、概して記載されていない生活上の繊細な情感や社会の「しきたり」などを扱っているものが多い。このため現代の生活感覚を基にしてはわかりにくい。

しかし「僅かなる注意と比較によって、単に事実を明らかにしうるだけで無く、同情ある同時代人の之に対して抱いていた感覚を、窺うことが出来る」。

裏返えせば、俳諧ほど当時の活きた史料を後世に伝えるものはない。

家の生滅異動とか婚姻制との交渉などは俳諧を主たる史料として利用せぬ限り、殆どその近世の変化を明らかにできないほどである。

「活きた史料」こそ、柳田が芭蕉俳諧を評価する文化史的価値である。

G) 芭蕉俳諧の特徴7(『木綿以前の事』)・・・凡俗な生活記録

家の生滅異動だけでなく、凡俗な生活も多く詠み込まれている。

木綿が農村に入って、麻の衣類に代わっていった時代の様子、

村に住む寡婦の生計が、農具の改良で激変する様子など。

例として一連の付け合い「帷子」句を紹介(省略)

俳諧には、その時代の生活が現れている。

他文学が書き遺さなかった平凡人の心の隅々まで保存されている。

「多くの古い知識が、只ひからびた押し花のように保存されているのに反して、俳諧は、その当時の活きた姿そのままに伝えている。

この特殊なる文芸の総体から、そこに滲透している民衆生活を味わってみる心掛けが大切。

H) 芭蕉俳諧の特徴8(『木綿以前の事』)・・・芭蕉俳諧の価値

芭蕉俳諧への二つの感謝。

古文学の模倣を事としなかったこと。

ロマンチックな古臭い型を棄てたこと。

談林風の奔放な空想を抑制したこと。

換言すれば、笑いの本願を成就させた(芸術的な価値)。

古くからの言い伝えに忠実であったこと。

凡人大衆の生活を写実かつ正確に詠んだこと。

つまり、活きた史料を遺した(文化史的価値)。

奇警にも奔らず、さりとて又常套にも堕さず、必ず各自の実験の間から、直接に詩境を求めさせていたところに新鮮味があった。(柳田国男)

 (5)国語教育と芭蕉

   以上を踏まえ、高校国語教科書への提言を考えてみたい。

A) 芭蕉が教科書にどう取り上げられているか。(昭和38年度、26教科書を調査)

著書:『奥の細道』(26)、『野ざらし紀行』『幻住庵記』『笈の小文』(各1)

作品:発句(24)、連句(1)

ジャンル:俳論(去来抄など、10)、鑑賞文(7)

  <以上、(n): 収載教科書数 >

B) 考察

(ア)発句ベスト5

草の戸も住替る代ぞひなの家(26)、夏草や兵共がゆめの跡(25)、

五月雨のふり残してや光堂(24)、行はるや鳥啼うをの目は泪(23)、

旅に病で夢は枯野をかけ廻る(19)

(イ)作者別発句数ベスト5

芭蕉(419句)、蕪村(184句)、一茶(102句)、其角(14句)、凡兆(10)

(ウ)以上のまとめ

『奥の細道』および発句は、ほぼ全ての教科書に収録(抄録)されている。

中でも、芭蕉(作者)、『奥の細道』(著書)の収載は圧倒的である。

それだけに芭蕉の俳諧は教科書上に正しく位置付けされるべきである。

(ア)発句と俳句に関する考察

(イ)芭蕉俳諧の工夫

多くの教科書に「近世俳句抄」という単元名がある。

「俳句」は明治以降に作られた呼称、本来は「俳諧の発句」と呼ばれるべきもの。

俳諧は幾つかの句が連合して、一つの効果をあげるもの。

一句各々の任務は分担である。

発句のみを取り出して鑑賞することに、どれだけの意味があるのか。(26種の教科書の内25種は、発句のみを取り上げている)

発句(俳句)が俳諧を示すなら「芝居の馬の脚が嘶くようなもの」

(『笑いの本願』)

「一言で言えば発句(俳句)は嫌いである、寧ろ発句(俳句)の極度なる流行が、却って俳諧の真の味を埋没させて居る」      

(『木綿以前の事』)

表六句では恋愛は詠み込まない

「序破急の原理を乱し連句総体の調和を損なう」(「女性と俳諧」)

談林以前の百韻を止め、三十六句の歌仙にしたのも全体調和のため。

 (『木綿以前の事』)

表六句を除けば恋愛が大いに俳諧を賑やかにしている。 (〃)

特に芭蕉は女性の種類、境涯を広めた。(〃)

(ウ)教科書の発句(俳句)への疑問

(エ)教科書の芭蕉評価上の問題

しかるに今日、俳諧の鑑賞が発句だけとは何を意味するのか。

(『木綿以前の事』)

巧みな比喩の紹介 ⇒「店先と暖簾の陰の話(省略)」

したがって、発句だけ取り上げても格別笑いがないのは当然のこと。(〃)

「俳諧という言葉の意味を余程こじつけ拡張しない限り、今日の所謂俳句は、それだけでは俳諧ではない」

芭蕉の有名な発句だけを取り上げ「裸で取り出して、そしったり賛嘆したり無視したりしようとする近頃の鑑賞ぶりは、少し我がまま過ぎないか」(「女性と俳諧」)

「発句で芭蕉を論ずるのがすでにどうかしている」(「七部集の話」)

発句だけで芭蕉を論ずるのが誤りであるなら、現在の教科書は反省すべき。

教科書の問題は、ひいては国語教育上の問題でもある。

つまり芭蕉の真の偉業が生徒たちに伝わらない。

芭蕉の偉業

俳諧においてなされた「笑いの本願」の成就

俳諧に残された「活きた史料」

その意味において、遠藤嘉基編「高等古典」(中央図書)収載の「猿蓑」一巻「夏に月の巻」は注目されてよい。

世に伝わる芭蕉の発句は千句をこえるといわれる、それが立句となり巻かれた連句は百に満たない。

しかし、他は使われなかったという推論は成立しない。何故なら笑いの文学はもともと記録物として残らないという事情もある。

仮に使われなかったとしても発句は「いつでも或る連句の催しの開口となることを覚悟の上で作られたもの」なのである。(「女性と俳諧」)

だから発句だけが取り出され賛嘆されて良い理由にはならない。

その例を「さみだれを集めてはやし最上川」句で紹介(省略)。

つまり「すゞし」が「早し」になっているが、その理由は「外部の者の感覚では、梅雨の頃の最上川増水は涼しいと言うにはまだ早く、句が不自然に聞こえることを斟酌したものだろう」(『俳諧評釈』)

ともあれ、この時は皆「涼し」と感じたのであり、「早し」句は「涼し」句を背景に理解しなければならない。また「涼し」句は連句との関連で捉えられねばならない。

   ◎上記「さみだれ」句の解釈について、谷地先生から以下の指摘があった。

柳田による「すゞし」から「早し」に変更された理由の説明は一つの見方ではあろうが、適切ではない。ここは季題「すゞし」の本意(伝統的なイメージ)に注目すべきであろう。日本の夏は高温多湿で暑い、このため日本の建築は夏の暑さを凌ぐことを目的とした構造になっている(『徒然草』55段)。よって、客人に対しても夏は涼しさ(食物や環境)を提供することが、何よりのもてなしになる。この場合も歓迎してくれた連衆への感謝を表すために最上川を「すゞし」と詠んだもので挨拶(返礼)の意味が込められている。その挨拶句を『おくのほそ道』に収載する際、「早し」に修正された理由は『おくのほそ道』の全体構想上のバランスの問題であろう。つまり大石田前後の章段をみると、地元の歓迎に感謝する挨拶の気持ちを、何度も「涼し」という季題で表している。そのため、大石田の最上川の句は、連句の発句的な役割を離れて、和歌の昔から「早川」というイメージで語られてきた伝統に寄り添い、「涼し」の連続を避ける工夫をしたのである。(発表者曰く。後日『おくのほそ道』調べると、確かに大石田の前の尾花沢では「涼しさを我が宿にしてねまる也」、後の出羽三山でも「涼しさやほの三か月の羽黒山」などと詠んでいる。よって、納得ゆく解説であった)

(オ)俳諧発句の心構えについて

(カ)柳田国男の子規批判

(キ)現代文学と俳諧

発句は連句の開口となることを覚悟(以下)し作られるもの、

「聞かぬうちから先々の、おかしさ、面白さに心をときめかす底の様態を見せていなければならなかった」(『笑いの本願』)

「ちょうど、この頃の四方の梢の如く、近くに寄って見ればまだ芽の萌しさえ無いのに、誰にも春だなと感ぜずには居られぬような、言葉には示せないほのかな何物かが含まれているべき」もの。( 『笑いの本願』 )

この覚悟こそ、季語とか十七の字数とかよりも、発句のあるべき姿を指導していたと考えてよい。

つまり発句は、一巻のエッセンスを醸す(予知する)たたずまいをもった句と言えるのではないか。(発表者)

「私は芭蕉翁の今の言葉でいうファンであるが、自分ではこれまで俳句なんかやって見ようとしたことが無い」(『木綿以前の事』)

柳田は子規の「芭蕉の唱導した俳諧の連歌は文学でない」発言(下記と思われる)を、鋭く批判。

「俳諧は何の用をか為すと問う者あらば、何の用をも為さずと答へん。何の用をも為さぬ者は即ち無用の者なり」(「俳諧反故籠」改造社)

子規の俳諧無用論に対する柳田国男の言葉。

「どうしてこの俳諧の最も歴史的なる部分が文学で有り得ないのか。もしくは少なくとも何故に文学でないと、ある優れたる一人の文人によって断言せられ得たのか」(『木綿以前の事』)

この言葉は、外国からもってきた文学の定義では包容できない、特殊な文芸が日本にはあるのだという(柳田の)考えにつながってゆく。

現代文学に比し特殊な文芸である俳諧を理解するには、何をすればよいかは柳田国男の芭蕉論を読めば分かる。

(6)まとめ

(ア)柳田国男は芭蕉俳諧の偉大さは、以下の二点にある。

(イ)この二つの価値は発句よりも、恋の座等の平句に多く見出される。

(ウ)芭蕉を理解する上で、現代(昭和38年時点:発表者注)教科書が抱える問題点

(エ)芭蕉理解のひずみ

(オ)俳諧研究の意義(柳田国男)

(カ)我々は我々の祖先の生活を知り、その考え方・見方にふれ、自己の人間形成に役立てるために、国語教育の中で古典を取り扱っていることを忘れてはならない。

笑いの本願の成就(芸術的価値)

活きた史料(文化史的価値)

このため芭蕉を正しく理解するには俳諧を俳諧として大きく見つめねばならない。

調査全教科書(26種)が芭蕉を収載しているが大部分が発句。

これでは芭蕉を正しく理解することは出来ない。

私は大学で芭蕉の連句を知り、『木綿以前の事』で杉浦明平のように驚くことが出来た。

しかし多くの人は芭蕉と言えば「古池や」しか思い浮かべることが出来ないのではないか。

その責任は芭蕉を正しく位置付けない国語教育にある。

「(我が)国の文芸に対する我々の態度が今迄あまりにも単純で、従って一生の間まるまる是と関係なしに暮らしてしまう人が多過ぎた。出来ることならこれを改めるか、少なくとも文芸の見方の、新しい種類を付け加える必要がある」(『木綿以前の事』)

上記の発表者解釈:日本古来の文芸に対して、我々が無関心であったため、多くの人が日本の文芸に親しむことなく暮らしている。出来ればこの弊を改め、少なくとも日本文芸そのものの見方を再検討し、必要であれば新しいカリキュラムを起こす必要があるだろう。

2 所感

 本発表では小山清氏が纏めた柳田国男の芭蕉論を紹介した。私(発表者)も以前、小山氏が読んだという三冊の本を読んだが、通説の通り難解であった。小山氏は、これを体系的に纏めていて感心した。柳田の芭蕉論には民俗学的見地からの視点が多少見受けられる。しかし大枠では否定すべきものはないと思っている。『笑いの本願』では、「笑い」が我が国の伝統的な精神文化であったことを知り驚き、かつ新鮮であった。私などは会社生活の経験から笑いを、日本人の下卑たる欠点とネガテブに捉えて来た。しかし小泉八雲の文章からも分かるように「笑い」は、本来日本古来の精神文化であることを教えてもらった。

 かつて山本健吉は俳句を「挨拶、即興、滑稽」と喝破した。しかし前二者は納得できたが、「滑稽」はピンとこなかった。何故なら現代俳句では「笑い」が尊重されない傾向があるからである。これはジャンルとして川柳があるためかとも思う。つまり「これは俳句でなく川柳だ」の一言で片づけられるからだ。

 柳田が言うように蕉風俳諧が「笑いの本願」を成就させたとしたなら、山本の「滑稽」は、俳句というより俳諧(連句)において大変な重みをもってくる。柳田の言に従えば、子規が発句を独立させたことで俳諧の脇以降がなくなり、必然的に「笑い」も切り捨てられたことになる。確かに発句の持つ品格や切れは平句とは異なり、明治に入った西洋芸術精神にマッチするように思う。子規は私と同様に「笑い」を、日本人がもつ下卑たるものとして発句以下を切り捨てたのであろうか。よもや、それはないと思う。しかし芭蕉を正当に評価するなら、子規が切り捨てたものを評価せねばならない、と言うのが柳田の言い分である。小山氏の提言によれば、国語教育は芭蕉の真の事業を教えず、本質から逸れた発句を取り上げ「芭蕉を讃えよ」と教えていることになる。つまり「芭蕉は偉いから讃えよ」と宗教的な芭蕉礼賛をしていることになる。このため世の大半の人は、芭蕉と言えば「古池や・・・」しか思い浮かばないという悲惨なことになっている。これでは日本人が海外で、日本文化を誇らしく語ることが出来ないのは当然であろう。

 小山氏の提言は昭和39年という優に半世紀も前のものである。現在の教科書では改善されていると信じたいが、果たしてどうであろうか。

 最後に、文化は正しく承継されなければならないという意味で、小山氏の「まとめ」の言葉(カ)は大事だと思う。芭蕉を標榜する同好会のメンバーとして、小山氏の締めの言葉は今後とも反芻し、噛みしめたい言葉である。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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