後藤寿庵

https://www.tohtech.ac.jp/topics/presidentmessage/14025.html 【隠れキリシタン】より

 フランシスコ・ザビエルによってキリスト教が日本に伝えられたのは1549年。しかしわずか半世紀後の1612年徳川幕府は禁教令を発令しました。キリスト教布教の禁止と徹底的な弾圧により、多くの信者は棄教せざるを得ない時代がありました。信者への陰湿な拷問、一族への激しい弾圧が行われましたが、そのような中で、棄教するかのように見せかけ、うわべは仏教徒の形をとりながら、心の底ではキリスト教信仰を貫いたという人々がいます。その伝統を引き継いだのが隠れキリシタンと呼ばれる人たちです。その時代、仙台藩の家臣に後藤寿庵(じゅあん)という人物がいました。実は、彼は隠れキリシタンでしたが、伊達政宗公はその能力を認め、旧仙台藩内の岩手県奥州市水沢に領地を与えます。すると寿庵は、原野を開墾し大規模な用水路を建設して地域に貢献しています。その用水路は「寿庵堰」と呼ばれて今も現地に残り、いまだに利用されているそうです。また、家臣として能力を発揮しつつ生涯キリシタンとしての信念を貫いた彼を称え、当地に「寿庵堰」が建てられて毎年祭が開かれるなど、今も地域の人々に慕われているようです。 彼は優れた土木技術者でもあったわけですが、それは『東北の産業界に指導的役割を担う高度な技術者を養成する』という、本学建学の精神と合致しますね。

自分の信念を貫く。どのような場面、状況にあっても、自分の思っていることをきちんと主張し、是是非非で対応することのできる人は本当に尊敬に値する人であり、信頼の得られる限られた信念の人ということができるでしょう。しかし、このような人になるのはなかなか難しいことです。隠れキリシタンは、このような難しさを克服した弱い人間が、強さを示した人たちではないかと思います。

組織の意志と個人の思いのずれ問題はいつでもどこでもあることです。政治で言えば、国の方針、県の方針、市の方針、あるいは身近なところでの文教政策、大学の方針などは、組織としての大義名分があるでしょう。しかしながら、種々の状況のもとでの方針ですので、全員が満足するものではなく、また心から納得できないものもあります。また、必ずしも正しいとは限りません。あるいは正しいのか、良いのか、悪いのかさえ区別がつかないことがあります。

そのような中で、従いながらも(あるいは従わざるを得ない状態でも)、かつての隠れキリシタンが示した知恵を働かせ、私たちは物事に対処することが可能です。それは弱さの中の限りない強さだと私は思っています。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E8%97%A4%E5%AF%BF%E5%BA%B5

【後藤寿庵】 より

後藤 寿庵(ごとう じゅあん、天正5年(1577年)? - 寛永15年(1638年)?)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、キリスト教信者(キリシタン)。本名は岩淵又五郎。伊達氏の家臣。一説には葛西氏の旧臣。

生涯

陸奥国磐井郡藤沢城主・岩淵秀信の次男として誕生。

天正年間(1573年 - 1591年)、豊臣秀吉によって主家・葛西氏と共に滅びる。

慶長元年(1596年)、長崎に住みキリシタンとなるが、迫害によって五島列島宇久島に逃れ、ここで洗礼を受け、寿庵(洗礼者ヨハネの意)と名乗り、五島氏に改名する。

慶長16年(1611年)、京都の商人田中勝介と知り合い、その推薦によって、支倉常長を通じて陸奥国の戦国大名・伊達政宗に仕えた。慶長17年(1612年)、後藤信康の義弟として、見分村(現在の岩手県奥州市水沢福原)1,200石を給される。寿庵は原野だった見分村を開墾するため、大規模な用水路を造り、これが「寿庵堰」と呼ばれ現在もその跡が残る。大坂冬の陣・夏の陣では、伊達政宗の配下として鉄砲隊の隊長を務めた。

一方で、寿庵は熱心なキリシタン領主であったため、天主堂・マリア堂などを建てた。家臣らのほとんどが信徒となり、全国から宣教師や信徒がその地に訪れたという。また元和7年(1621年)、奥羽信徒17名の筆頭として署名し、前年のローマ教皇パウルス5世の教書への返事を送った。

ところが、江戸幕府3代将軍・徳川家光の治世となると、キリスト教の禁止が厳しくなり、主君・政宗もその取り締まりを命ぜられた。寿庵を惜しんだ政宗は、布教をしない・宣教師を近づけないことを条件に信仰を許そうとしたが、寿庵はこの条件を拒否。堰の完成を待たずして陸奥南部藩に逃亡したとも、出羽秋田藩に渡って死去したとも伝えられる。その後、寿庵から用水土木技術を学んでいた弟子の千田左馬と遠藤大学の指導の元、およそ17キロメートル分の工事が進められ、寿安堰は寛永8年(1631年)に完成した。

大正3年(1923年)、治水の功により従五位が贈られた。昭和6年(1931年)には彼の館跡に寿庵廟堂が建てられ、毎年9月11日に寿庵祭が行なわれている。昭和26年(1951年)、宮城県登米市(東和町米川西上沢)で後藤寿庵の墓が発見されている。

異説

元和8年(1620年)頃、陸奥仙台藩領から出羽秋田藩領内稲庭付近に厳中と名乗る男がやってきた。厳中によりこの地域に、日月崇拝を教義とした(と伝わる)宗教が伝わった。信者らは太陽と月を崇拝し、眼の紋の入った羽織を着用した。元々は畿内が発祥であったとされているが、当時仙北地方から内陸南部にかけて、秋田藩領の鉱夫の間に瞬く間に広がったこの宗教は「大眼宗(大岩宗、大願宗とも)」と呼ばれる。

秋田藩は大眼宗を、キリスト教と同義であるとして弾圧した。元和8年(1622年)に横手城の副城代格(搦手城代)であった伊達宣宗は、領内に住んでいた教祖厳中を横手城三の丸の屋敷に招き、捕縛した。教祖捕縛の報を受けた信者百人以上が屋敷に押しかけ、役人らの乱闘の末に教祖を奪い返されてしまい、そのまま教祖は逐電した。妹尾兼忠らが活躍し一揆は鎮圧され、藩主・佐竹義宣は宗徒らを処断しない方針であったが、横手城代の須田盛秀は宗徒を数十人、磔にしている。 また、教祖捕縛の失敗の責任を取り、宣宗は秋田藩を致仕し、江戸に移り住んで逼塞した。藩は数年後に佐竹南家出身の妻を持つ彼を呼びしたが、以降領内にやはり逼塞した。

この大眼宗一揆の主導者(教祖)の厳中が寿庵と同一人物である、とする説がある。

キリスト教と同一視されたこと、また、当時の鉱山とキリスト教(南蛮技術)との関連もあり、興味深い説ではあるが、厳中と寿庵は同一人物である、ないしは寿庵がこの宗派に何らかの関わりを持っていた、とする確実な史料的裏付けはない。


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